さて、巷で言われているスブドはグルジェフの思想的影響を受けたという解説ですが、事実はまったく異なります。

グルジェフの死後、彼の弟子であるジャンヌ・ド・ザルツマンという人が、ワークを引き継ぐ形となりました。
また、戦後に大勢の生徒を連れてグルジエフのもとを訪れていたJ・G・ベネットは、1920年代の初頭におけるグルジエフの活動にならって、コミューン的な環境でのワークを追求し、まずはイギリス、のちにアメリカに学院を設けました。
その他、ウスペンスキーをはじめとするグルジェフから離反した人たちのグループも生まれました。

これらの後継者のうち、スブドと接点を持ったのが、J・G・ベネットです。
彼は極東に新しい力が現れたという知らせをあちこちから受け取っていました。日本から来た手紙にはある「師(マスター)」のことが書かれており、その人の弟子たちがグルジェフのことを全然知らずに、グルジェフの教えを実行しているという話でした。彼は、キプロスの友人からフセイン・ロフェというアラブ系英国人がすでにこの霊的な接触を受け、これを他の人に伝達できるということを主張しているとの連絡を受け取りました。ベネットは、ロフェに会い、この霊的接触を受け、すでにロフェから霊的接触を受けていたグルジェフとウスペンスキーの弟子たちの仲間に加わりました。その後、このグルジェフやウスペンスキーの弟子たちが幾人か集まり、その体験を語り合いました。そのときの一致した意見は、彼らが得た体験は、グルジェフが「本心のめざめ」と呼んだものと合致するということだったそうです。

つまり、スブドとグルジェフグループの関係というものは、グルジェフグループの人たちが、スブドというグルジェフの教えに合致するような霊的な運動を見出し、それにより霊的な確信を得ていった、というのが真相です。これはあくまでも私の推測ですが、パ・スブーはグルジェフの存在さえ知らなかったと思います。このサイトの他のページにも書かれていますが、スブドは教えでも思想でもなく、ただ単に全能の神から賜物をいただく、というのがその本質ですから、他の思想の影響を受けようがないのです。

 

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